毒親生活との中学生時代
こんにちは。
青空太陽です。
今回は私の「毒親生活との中学生時代」を綴ってみたいと思います。
が、
正直、中学校時代の3年間は、
のらりくらり交わす術を身につけた事もあって、
それほど毒親との確執は覚えていません。
家庭内でもあまり会話せず、接触を避けていた事もあると思いますが。
今回は、ちょっとだけですがブログを書いても、メンタル的に楽です^^。
疲れません。
どうぞ心をホットにしてご覧頂ければと思います。
小学校生活では高学年からサッカーをしていました。
前記事のブログの様な事もあり、
サッカーを二度としたくなくなりました。
中学に入ってから別のスポーツ系の部活動に入部。
が、このスポーツは自分自身に全く向いていない事に気付き、
すぐに辞めちゃいましたけどね笑。
さて、部活で汗水流している皆とは別に、
私は別な事に熱中していました。
近所の公園の、なぜか同じ場所に毎月捨ててあったエロ本を拾い、
きれいに拭いて、多感な時期の男子に売りさばいてました笑。
ヤンキー君から真面目君まで幅広いジャンルに売りさばき、
リピーター率100%です笑。
仕入れ原価¥0、驚愕の100%利益!
ちなみに「値切り無し」。
あと、ノークレーム・ノーリターンでしたね笑。
この頃から(将来は商売をやってみたいな〜)と
興味を持ち始めました。
この「超小ビジネス」は、
当然毒親には未だ言ってません。
さて、そんな訳の分からない「超小ビジネス」を確立していた私は、
家に帰宅するのはやはり嫌でした。
中学2年生の後半頃から、受験勉強にシフトする仲間がボコボコ現れましたが、
私は全く勉強に興味が湧かなかったんです・・・。
両親からは、
「あんた、そろそろ受験の準備を始めないと高校に行けないわよ!」
と、どこの家庭でも同じ様な台詞を言われていましたよ。
それに、小学校時代の「謝罪強要=こちらが折れて謝る」が、
図式化されてましたし、
「反抗する=意味も分からず引っぱたかれて、夜中まで罵声の嵐」
も、これまた図式化されていた事もあり、
怖さのあまり、すぐに「はい。分かりました。お勉強します」という
返事しか出来ませんでした。
良い子ちゃんにしてました・・・。
もう恐怖政治に飲込まれてたんですね。今思えば。
高学年になれば、毎日毎日、
「あそこの○○君はどこの塾に通ってて、○○高校に受験するみたいよ?」
「こっちの○○ちゃんは○○塾でトップらしいわよ?」
こんな会話を毎日毎日朝から夜まで語り尽くされます・・・。
そういうこの毒親は大した経歴を持っていません笑。
私には2歳年上の兄がおりまして、
既に高校生活をエンジョイしてました。
「○○兄ちゃんはここに行ったんだぞ?お前はどう頑張っても無理だけど
恥ずかしくない高校には行け!」
(何だ?恥ずかしくない高校って・・・どんな高校だ?裸族なのか?)
「どうせ何やってもお兄ちゃんとは違ってあんたは何も出来やしないんだから、
受験勉強ぐらいやりなさいよ!
家族が近所の人に恥ずかしくて会えなくなるじゃない!」
(出た〜「何もできない宣言」。それで、やっぱり世間体が大事かよ・・・)
こ〜んなウザい毎日もあり、どうしたら良いか分からない私は、
「超小ビジネス」を閉店させ、高校受験に適当〜に取りかかります。
尚、兄は毒親たちから絶対な信頼を勝ち取り、
私が罵詈雑言されている時でも、
「自分に火の粉が被らなければ兄弟でも身売りする」
というクソ思考でしたから、あまり会話はしていません。
学校から帰宅すると家庭教師を配備され、
「やる気の無い私」と「やる気のある先生」とのすれ違いが始まります。
受験日の数ヶ月前には先生が2名に配備されてました・・・。
贅沢な事なんでしょうが、私としては全然嬉しくありませんよ。
別に行きたい志望校なんて一つもありませんでしたし、
そもそも高校のお受験が良い事なのかも疑問でしたし・・・。
やりたくない事をやらないと「悪」みたいな流れも大嫌いでしたから。
正直、中学時代は本当に覚えていません。
あまり、家庭内でも接触しようとしなかった事もあったせいか、
この時期は別にメンタルをズタボロにされる出来事は無かったと思います。
ただ、高校受験をとりあえず合格したその日から私の悪夢が始めります。
次回から、本当の意味での毒親と闘った数十年になります。
ではまた。