毒親からの解放軍!

毒親からの恐怖政治を受ける経験者です。世界中で毒親からの解放を望む方々へ少しでも突破口を切り開いて欲しいと思いながらブログを書いてます。

もう死んじゃうかな・・・

毒親からの周到な「失敗作な子」を追い出す計画は、

常日頃続きます。

丁稚から帰ったその日以降、いつもと変わらず部屋に「求人広告」を投函され、

自分の部屋は相変わらず、リビングからロックが掛けられるトラップのままです。

トイレに行っても、風呂に入っても、徹底的に「何で家に居るの?」を

連呼され続けます。

そして、丁稚から帰って3日後に、

赤札礼状。

「今度は○○さんに話をしておいたから、いってらっしゃ〜い」

さぁ、別の仕事へ。

もう、何だか分かりませんね。

とにかく自宅から出勤を嫌う毒親がいます。

近所の「目」があるからでしょう・・・。

我が子を恥ずかしくて外に出せない・・・。

そんな親こそ「外に出て恥ずかしい人間」かと、

この年齢になって常々思ってます。

この様な嫌味や罵詈雑言を、10代のライフスタイルの中で

繰り返し浴びせられると、

「俺は何がしたいんだろう?」「俺の夢ってなんだろう?」

と、希望や夢を持ったり考えたりする思考能力さえ無くなります。

全く持って自分を肯定する事も無くなります。

常に、毒親に言われ続けた、

「お前はダメ」「バカ」「産まなきゃ良かった」「出て行ってくれ」

・・・自分もそういうダメな人間なんだと植え付け始めていました。

そして、自分は何をやっても人に認めてもらう事は無いんだ!と

強く思い込みます。

良い意味で言えば、天狗にならないですが・・・。

悪く言えば常に満足が出来ない・・・という人格になっていました。

更に、自分に自信を持つ事が「いけない事」と心に刻んでいるのでした。

そうです。これが「恐怖政治」で受ける「洗脳」です。

この「毒親からの洗脳」に気づくまでの年月が長ければ長い程、

脱出が困難です。

私はおっさんという年齢になるまで、

「毒親」という言葉すらありませんでしたし、

「自分の性格や甘え、自分の能力が低いから」と常に思っていました。

 

当然ですが、自傷行為もありました。

 

生きて行く中で、挫折や苦悩って、ものすごい沢山ありますよね?

 

幼少期に親御さんから

「お前ならできるぞ!」「よく頑張ったね!」「また次があるさ!」

などなど・・・。

褒められた事や、自分自身の自信に繋がる言葉を掛けられた人と、

そうでない私みたいな人たちとでは、

困難に直面した際の取り組み方が違うと思うのです。

自分に自信を持つ事が自然に出来る方は困難も

勢いで乗り切り易いのかな〜と思ったり・・・。

 

私は500%後者です。

 

とにかく「やっぱり俺ってダメでしょ?」とかヤサグれ始め、

そこから自傷行為に走ります。

頭から血が吹き出る程壁に頭を叩き付けます。

そこで吹き出した血を見て、ようやく落ち着きます。

それが慢性化してました。

血を見て、「俺はクズだけど、もうちょいやってみるか?」

と跳ね返る馬力やモチベーションになるまでの時間と行為が偉い長いのです。

 

「お前はダメ」「バカ」「死ね」

・・・困難にぶつかる度にフラッシュバック・・・。

もう死んじゃいたいな・・・と何度も思います。

 普通なら目の前の困難だけを考えればいいのでしょうが、

ワンセットで過去の「闇」がくっついて頭に浮かびます・・・。

 

 

結婚し、妻子を持つ身になってからは、かなり症状は軽くなりましたが、

まだ完全に消えた訳ではありません。

生涯、この「闇セット」と向き合う覚悟はありますが、中々辛いもんです。

 

以前に心療内科に相談に行った事があります。

妻も付き合ってくれました。

しかし、

受診したクリニックの主治医は、

相談するや否や、

「薬飲んでココにおいでよ」

「まずは運動しなよ?変わるから!はい、次の方〜」

何とも味気ない・・・。

(運動って何だよ、スクワットか?腕立てか?何だコイツ・・・)

ちなみに凄い評判が良いとネットに書き込まれていたクリニックでした笑。

頭に来ちゃって帰ってきました。

妻にも「大丈夫だよ、一緒に克服しよう?ね?」

帰り際に二人で涙しました。

ネットの評判だけで判断して受診するのは気をつけましょう^^。

また、必ずしも専門家に受診するから治るという事は無いと思っています。

海外の様にグループカウンセリングで良くなる人もいますし、

私の様に、カウンセリングを受診しなくても症状が緩和する手段を

見つけた人だってたくさんいらっしゃいます。

 

あの若かりし頃、「洗脳」とは知らずに、とにかく与えられた仕事を

夢中になって取り組む事だけが唯一の私の「逃げ道」だったのかもしれません。

結果、一本立ちに這い上がるまでにはなりましたが、

この歳でも困難は沢山あります。

電車や人ごみには馴染めません。

フラッシュバックは日常的に起こります。

小学校時代に無理矢理、学習塾へ電車で1時間も掛けて一人で通わされ、

家にようやく到着する際、外から聞こえる我が家のテレビを見て楽しそうな

団らんの声。

部屋に私が入ると一気に殺伐とした空気になった事も影響している要因の一つ

でしょうか・・・。

とにかく人ごみが苦手で、電車は恐怖です。

改札口に入ると、吐き気を起こします。

車で対向車のドライバーと目を合わせる事が恐怖です。

毒親公認で、どこぞに拉致されるのかも分らない場所へ連れて行かれた、

あの日から車のドライバーが恐怖です。

 

でも、不思議なものです。

車そのものは大好きなんですよね笑。

毒親は、私から言わせればクズの一言です。

しかし毒親だって歳を重ねると、身体にボロが出てきます。

だからこそ今度は、大人になった子供を「道具」として利用し始めます。

そして、未だに「親の面倒見るのが当然でしょ?」とアホ丸出しで訴えます。

今まで数十年恐怖のトラウマを植え付けて来た奴らは、

歳を取っても精神の異常性には気づいていません。

が、一時の威勢も感じられませんが笑。

相変わらず人のふんどしで相撲を取る様なクズな毒親です。

こんな言い方「親不孝」ですか?

そうでもないでしょ〜。

人を裏切る事もせず、

人を利用する事もせず、

弱い者いじめをした事も私は無いですから。

こいつらと違って、威嚇して恐怖を植え付けても尚、

自分が正しいと思っている毒親に「ありがたきお父さん、お母さん」

なんて言えないし思えねぇ〜笑。

 

毒親は何十年経っても、精神はバカのままです。

一矢報いるチャンスはようやくこの歳になって現れたのかもしれません。

が、私も歳を取り、

愛する家族が居ます。

妻と子供が洗脳の恐怖に飲込まれない様、私が全て守り抜きます。

 

次回は、毒親に一矢報いる方法です。

(あくまで私の主観と経験ですから、通用しない毒親もいます)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毒親と位置づける物は何か

私の毒親体験談はまだまだ書き続けますが、

少し中休みさせてください。

今回は「毒親と位置づける物は何か」というテーマにしたいと思います。

あ、ちなみにこのブログは、

あくまで私の経験を元にブログを書いてますので、

超個人的主観です。

 

位置づける物はいくつもあると思います。

子供を「便利な道具やロボットと見ている」

子供を「絶対服従させ、弱みを永遠と握る」

子供を「他所様の子供と比較し、子供に圧力を加える」

子供に「過干渉」

子供に「ネガティブな発言ばかり言う」

子供に「感情論で論破する」

子供を「育児放棄する」

子供の「気持ちよりまずは己」

・・・たくさんあります。まだまだ出てきます。

最低でも上記項目は、毒親の代表格です。

位置づけるには十二分の理由ではないでしょうか。

全てが恐怖です。

大人になれば、対処策も身に付きます。

では子供はどうでしょう。

恐怖以外に何もありません。

恐怖の対象が親なんです。

どこに逃げれるのでしょう?

もしご近所で毎日子供が泣いている。

毎日親が必要以上に子供を叱りつけている。

そんな光景を見たり、

明らかにおかしいな?と思ったら、

どうか救ってあげてください。

 

話は戻りまして、、、

私の毒親は、偉そうな事を毎夜毎夜喋っていましたが、

いざ私が大人になり、冷静に親の話を聞くと、

全くもって「偉くない人」と理解しました笑。

いざとなったら直に逃げます・・・。

全うな話なんかはしようとしません。

とにかく逃げちゃいます笑。

私が幼少期から成人するまでは、

弱みを握れば私が何も言えないのは

分かっていたのでしょう。

だから圧力を加えて来たのだと思います。

今となっては全うな話をする時、私とサシで会話をしません。

誰か味方(親戚等)をそばに置いて話します。

私が思う毒親の定義とは、

結局一人じゃ何にもできやしないという事です。

依存癖が強いですし、メディアに流されやすいですし、

考え方が短絡的です。ぶっちゃけバカです。

縛り付けると子供はどこかで歪みが生じます。

その歪みがどうしてなのか?なんて毒親は知る由もないです。

だってバカだもん。

だって面倒くさい事は子供に丸投げ・他人に丸投げだもん。

そして、毒親に育てられた子供は大人になればなるほど、

苦しみます。

私の場合は、どこまで言っても満足できませんでした。

褒められた事が無いからなのでしょうか?

いつも「ハイ次。ハイ次〜」

と経過や結果を見てもらえなかったからでしょうか?

常に追いかけられている感じや焦りが拭えません。

(最近はその感情はだいぶ減りましたが)

正面から歩いてくる人が常に恐怖です。

いつでもどこでも言われの無い説教をされたからでしょうか・・・。

ブチのめされて脅かされたからでしょうか。

堂々と出来なくなる自分がいました。

克服しようと格闘技も習いました。

でも、恐怖心は中々自分の心から立ち去ってくれませんでした。

こうした体験談を書く方々がたくさんいらっしゃいます。

私も様々な方々のブログを拝見しております。

悩みに大も小もないんですよね。

辛いと思う事が辛いんですよね。

毒親との闘いが出来るのは子供が「大人」になってからなんですよね。

子供のうちはどうしたらいいのでしょう・・・。

簡単に片付ける人がいます。

「そんなの甘えだろ?多少なりとも親にひっぱたかれて育つ奴なんて

五万といるじゃん?悪い事したら叱る。当然じゃん?」

「親を恨むとかおかしいだろ?」

「自分の都合のいい様に喋ってるだけじゃん?」

・・・毒親育ちのみなさん、

こうした事言われた事ありませんか?

この人たちはこの人たちの意見です。

間違ってないかも知れません。

でも、経験者にしか一生分からない悩みだって五万とあると私は思っています。

仮に短絡的にこの様に応える方がいたら、逆に私は聞きたいんですね。

「職場で上司に徹底的に嫌がらせを受けた。周りも(触らぬ神に祟りなし)だし、

相談したいけど、会社は辞められないし相談できない。会社に行くのが辛い」

こういった場合も、あなたの精神の甘えですか?

 何かにすがりつきたいと思いませんか?

「親という名の下で、何をしても良いの?」

とも聞きたい。家長制度でしたっけ?あれ、なんでしょう。

長男大事?何で?跡取りって何ですか?

子供の一生を産まれた瞬間から決めつけちゃうって事に、

疑問は無いんですかね。

罵詈雑言、暴力を浴びても親を敬うんですか?

子供が親に虐待されているニュース、あれどう思うんでしょうか。

「殺したらダメだろ?」

ですか?ニュースに取りだたされると「悪い事」、

それ以外は根性論ですか?

「自分の都合の良い様に喋ってるだけじゃん」

どうしてでしょう。

その発言自体が自身の主観の押しつけではないでしょうか。

私は先にも申しましたが、

医者でも、専門家でも、カウンセラーでもありません。

体験者の一人に過ぎません。

毒親と位置づける物は何か・・・。

あなたが生涯、苦しみから逃げる術を探している事。

その対象が「毒親」であれば、「毒親」なのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校を中退した後の毒親との闘い

とにかく考える時間はありません。

というか考えさせる余裕はありませんでした。

部屋にいると、ドアと床との隙間から、

毎日毎日、

「いつまでプラプラしてるの?」という様な置き手紙が投函されます笑。

面接も行きました。

バイトも採用されました。

しかし、私が居ない所で「お店にお断り電話」を仕掛けられます。

そろそろ頭がおかしくなります。

「一体どんな職について欲しいんだ?さっさと働けという割に、

あんたらの大事にしている世間体で仕事を選り好みしてるじゃねぇか!」

「へ〜偉そうな事言ってるわね〜。学校も辞めた分際で偉そうに・・・」

「1週間も絶ってまだ自分の矛先を決められないのか。馬鹿だなホント・・・」

10代の多感な時期であり、世間知らずな子供が一生食べて行ける職を

探さなければならないのでしょうか・・・。

「そこまで偉そうに言うなら俺たちが親戚に話しといてやる!」

???

何を?

翌週に、親が大喜びで私の部屋に入ってきました。

「おめでとう!仕事決まったよ!」

???

「明日から○○で働いて来なさい〜」

押し入れから私のデカバックを出されます。

「着替えを入れておきなさいよ」

???

もうどうでも良くなりました。

言われた通りに荷物を詰め込み、親戚に車でどこかに連れて行かれます。

超遠いです。

「お前の親から聞いてるだろ?」

「聞いてない・・・」

「ま、いいや。頑張れよ」

何を頑張るか、何をするか分からず目的地へ。

とある場所で下宿をしながら、働く事になったのでした。

親が何を話して、何を思っていたのか察しはついています。

一応、決められた一定期間そこで住み込みで働く。という条件の元、

そこで世話になる人と話を付けていたそうな。

逃げ道無しです。丁稚です。

とにかく頑張りました。

途中親が顔を出しに来ました。

人前では「我が子を思う偉大な両親」を演じます。

こちらとしては虫酸が走りましたが笑。

育児放棄した親が何言ってんだ)って感じですね。

後から聞いた話ですが、

私が下宿所に送り込まれた翌日から、

私以外の家族で旅行に言ってたそうですよ。

クソですね・・・。

さぁ、月日は流れ、目的の期間が終了です。(1年程)

「しばらく会わないウチにいい面構えになったな!」

と言われるだろうな・・・

そう言ってほしかった私の気持ちも大きかったです。

が、

久しぶりの実家へ戻った私に発せられた言葉は、

「なんで帰ってくるの?ずっと面倒見てもらいたかったのに・・・」

「明日から何するんだ?休んでる暇があったら働けよ?」

丁稚から帰った当日から、既に明日の事も決めなければならない様です・・・。

「仕事で何覚えたんだ?ほんと馬鹿だな〜お前。ただ単に言われた事やってただけなんだろ〜」

どれだけ親に応えようとしても、認められない毒親が目の前に存在しました。

ただ、いきなり別世界に放り出され、そこでの環境下で

覚えた事やお世話になった方々の教えは今でも全て無駄ではありません。

この頃の私の毒親達への印象は「身売りする人たち」です。

まだ、続きます。

では。

 

 

 

 

毒親生活との高校時代・・・

いよいよ毒親との長い闘いが始まります。

高校受験合格後、自宅へ戻ると家族が赤飯炊いてました。

まぁ、これは素直に嬉しかったです。

基本、形式上では「めでたい」事ですから、

家族も祝いの場を設けてくれたのでしょう笑。

素直に感謝はしています。

ただ、基本食事中は「おめでとう」はありません。

食べ終わるまで、

「何でこの高校なの?」

「何で努力しなかったの?」

「何であんたはバカなの?」

の説教オンパレードです。

本人の私は瞬時に嬉しくもめでたくもなくなりましたが。

さて、高校生活が始まりました。

しかし、長い悪夢のトンネル入り口はすぐそこです。

とある朝、いつもの様に学校へ。

いきなりボコボコにされました。

まぁ、私の事が気に入らない奴がいたんですね。

休み時間に殴られた倍返しをする為、戦闘開始です。

こちらは目をやられました。

あちらは歯がたくさん折れました。

両者血だらけ。

そんでもって血だらけの制服を着たまま電車に乗って自宅に戻りました。

まぁ、家では毎度ですが、

いつもの如く全てが私の責任となる訳です。

そこに私の弁明は取り入れられる事はありません。

実際には、こっちが先に手を出されたんですけどね〜。

未だにそいつは許してません笑。

どっちみち高校なんて行きたくなったら行こうと思ってたので、

結局これを機会に辞めちゃいましたが。

その後は、アルバイトをしながら早く一人暮らしをしたいと思っていましたが、

毒親どもがそうはさせません。

バイト先にも顔を出しに来ました。

「どうしようも無い息子なんで、首にしてください」と

店長に頭を下げられた事もあります。

学生を辞めたら働くべきです。

しかも、高い入学費払ってもらった事には変わりはありません。

なんとしても返す事もしなければなりませんし。

だからバイトをして自分の道を考える時間が欲しかっただけだったのにな〜。

家に帰って自分の部屋のドアノブを見て、???

なんと外(自分の部屋じゃないリビング側)からロックが掛けられる様に・・・。

「なにこれ?」

「しばらく部屋で履歴書書いてなさい。用事がある時は声掛けて」

「バイトは今日で辞める様に店長さんに電話したから」

「はい?」

「そこにおいてある求人広告。赤丸付けている所に電話して面接行って」

「なにをもってそんな事が言える権利があるんだ?」

「何やっても中途半端なあんたは鍛える必要がある。外で厳しい世界に行きなさい」

・・・なんでしょうね。これ。

後日、私がバイトしていた店長に電話しました。

「あの、親がすいません・・・僕は戻りたいんですけど・・・」

「お前は良くやってたから、辞めないで欲しいんだけどさ。

急にお母さんから凄い剣幕で電話あってさ〜・・・悪い。

もう違う子採用しちゃった」

悔しすぎて涙出ません。

高校を辞めた事がココまでの仕打ちをされる事なんですかね・・・。

あるとき毒親たちに言いました。

「悪い。少しの間だけ考えさせてくれ。仕事は探すが自分のやってみたい仕事に

面接に行きたいんだ。時間を少しだけくれない?」

「どの口がそんな悠長な事言ってられるんだ?馬鹿なのか?お前。

入学費もドブに捨てやがって。近所の恥さらしになったじゃねぇか!」

と父は言います。

「ホントこんな子産むんじゃなかったわ〜。何その甘ったれた考え。

雨風凌げる家にタダで住めていいわね〜。虫酸が走る・・・」

と母はこう言います。

赤丸を付けられた求人広告をその場で捨てて、

「俺の人生なんだから俺に決めさせてくれ!縛り付けんじゃねぇ!」

キレました。

当然父親にボッコボコ。

顔面を数十回殴られながら「死ね!」だの

「親不孝!」だの言われてた気がします。

母親は止めもしません。

テーブルを兄とささっとどかして、ボコられてるのを笑ってみてるだけです。

顔の形が変わるまで殴られて、

「あんた親に手をあげたらタダじゃおかないからね?」

です・・・。

記憶が薄れるまでぶちのめされて、その後

「本当にこんなクズ産むんじゃなかった」と言われます。

少し、外の空気を吸いたくなりました。

自分の身の振り方を考える為、夜の公園で空を眺めてました。

少々時間が遅くなりました。

友達と偶然会います。

「お!やっと見つけたよ!」

「何だよ、やっとって」

「お前の母ちゃん、お前が帰らないからって俺らの家に電話掛けてるぞ!

何かしたのか?お前」

「何もしてねぇよ!2、3時間ここのベンチで座ってただけだぞ!」

「心配してるみてぇだから、早く帰れよ」

「悪いな・・・迷惑かけて・・・」

行き場無し。

考えられる癒しの場すら無い・・・。

その後、毒親は親戚中に私の愚痴をこぼしまくりました。

親戚と会うたびに、こちらの意見も聞かない大人達が

私に説教し始めます。

そんな事やってない。そんな事言ってない・・・。

いくら言っても毒親も毒親戚も「私が悪い」でした。

この歳になっても親戚中から未だに「どうしようも無いバカ」というキャラです。

毒親が親戚を洗脳させると、親戚も毒されるという事なんでしょうか・・・。

これで完全に「親族で私の味方はいない」と分かりました。

時には自衛隊のお偉いさんがウチまで来てスカウトされた事もあります。

それだけ失敗作な私を家においておきたくないんでしょうね・・・。

ここからもまだまだ闘いは続きます。

では。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毒親生活との中学生時代

こんにちは。

青空太陽です。

今回は私の「毒親生活との中学生時代」を綴ってみたいと思います。

が、

正直、中学校時代の3年間は、

のらりくらり交わす術を身につけた事もあって、

それほど毒親との確執は覚えていません。

家庭内でもあまり会話せず、接触を避けていた事もあると思いますが。

 

今回は、ちょっとだけですがブログを書いても、メンタル的に楽です^^。

疲れません。

どうぞ心をホットにしてご覧頂ければと思います。

 

小学校生活では高学年からサッカーをしていました。

前記事のブログの様な事もあり、

サッカーを二度としたくなくなりました。

中学に入ってから別のスポーツ系の部活動に入部。

が、このスポーツは自分自身に全く向いていない事に気付き、

すぐに辞めちゃいましたけどね笑。

さて、部活で汗水流している皆とは別に、

私は別な事に熱中していました。

近所の公園の、なぜか同じ場所に毎月捨ててあったエロ本を拾い、

きれいに拭いて、多感な時期の男子に売りさばいてました笑。

ヤンキー君から真面目君まで幅広いジャンルに売りさばき、

リピーター率100%です笑。

仕入れ原価¥0、驚愕の100%利益!

ちなみに「値切り無し」。

あと、ノークレーム・ノーリターンでしたね笑。

この頃から(将来は商売をやってみたいな〜)と

興味を持ち始めました。

この「超小ビジネス」は、

当然毒親には未だ言ってません。

 

さて、そんな訳の分からない「超小ビジネス」を確立していた私は、

家に帰宅するのはやはり嫌でした。

中学2年生の後半頃から、受験勉強にシフトする仲間がボコボコ現れましたが、

私は全く勉強に興味が湧かなかったんです・・・。

両親からは、

「あんた、そろそろ受験の準備を始めないと高校に行けないわよ!」

と、どこの家庭でも同じ様な台詞を言われていましたよ。

 

それに、小学校時代の「謝罪強要=こちらが折れて謝る」が、

図式化されてましたし、

「反抗する=意味も分からず引っぱたかれて、夜中まで罵声の嵐」

も、これまた図式化されていた事もあり、

怖さのあまり、すぐに「はい。分かりました。お勉強します」という

返事しか出来ませんでした。

良い子ちゃんにしてました・・・。

もう恐怖政治に飲込まれてたんですね。今思えば。

 

高学年になれば、毎日毎日、

「あそこの○○君はどこの塾に通ってて、○○高校に受験するみたいよ?」

「こっちの○○ちゃんは○○塾でトップらしいわよ?」

こんな会話を毎日毎日朝から夜まで語り尽くされます・・・。

そういうこの毒親は大した経歴を持っていません笑。

 

私には2歳年上の兄がおりまして、

既に高校生活をエンジョイしてました。

「○○兄ちゃんはここに行ったんだぞ?お前はどう頑張っても無理だけど

恥ずかしくない高校には行け!」

(何だ?恥ずかしくない高校って・・・どんな高校だ?裸族なのか?)

「どうせ何やってもお兄ちゃんとは違ってあんたは何も出来やしないんだから、

受験勉強ぐらいやりなさいよ!

家族が近所の人に恥ずかしくて会えなくなるじゃない!」

(出た〜「何もできない宣言」。それで、やっぱり世間体が大事かよ・・・)

こ〜んなウザい毎日もあり、どうしたら良いか分からない私は、

「超小ビジネス」を閉店させ、高校受験に適当〜に取りかかります。

尚、兄は毒親たちから絶対な信頼を勝ち取り、

私が罵詈雑言されている時でも、

「自分に火の粉が被らなければ兄弟でも身売りする」

というクソ思考でしたから、あまり会話はしていません。

 

学校から帰宅すると家庭教師を配備され、

「やる気の無い私」と「やる気のある先生」とのすれ違いが始まります。

受験日の数ヶ月前には先生が2名に配備されてました・・・。

 

贅沢な事なんでしょうが、私としては全然嬉しくありませんよ。

別に行きたい志望校なんて一つもありませんでしたし、

そもそも高校のお受験が良い事なのかも疑問でしたし・・・。

やりたくない事をやらないと「悪」みたいな流れも大嫌いでしたから。

 

正直、中学時代は本当に覚えていません。

あまり、家庭内でも接触しようとしなかった事もあったせいか、

この時期は別にメンタルをズタボロにされる出来事は無かったと思います。

 

ただ、高校受験をとりあえず合格したその日から私の悪夢が始めります。

次回から、本当の意味での毒親と闘った数十年になります。

ではまた。

 

 

 

 

 

 

毒親と気づいた幼少期

今日は私と毒親との関係性を書いてみます。

長文ですので、のんびりコーヒーでも飲みながらご覧下さい。

まず、自分の親は毒親なんだと決めつけるのか、

そうでないのかは人それぞれです。

主観は千差万別であり、

結論を下すタイミングは皆さんそれぞれかと思います。

が、親から抑圧された事があまりにも多い幼少期によって、

自分が大人になり、社会に出ると様々な壁にぶつかります。

私がそうです。というかそうでした・・・。

 

まずは、

私の生い立ちを書いてみます。

何て事無い幼少期から始まります。

どちらかと言うとお坊ちゃんでした。

ただ、一つ違う事は友達の家に遊びに行くと、

(なんでコイツらは、こんなに伸び伸びと自分の部屋で遊べるんだろう・・・)

という事でした。いつも羨ましかったです。

思い返せば、

礼儀や愛想を振りまく事に異常な程、過敏になる両親だったと思います。

さて、私が小学校高学年から毒親の本領を発揮します。

私は小学校高学年で、サッカー部に入っていました。

3年間続けて頑張りました。

両親はこの3年間で1回だけ見に来た事があります。

私から「今度、僕の小学校で試合があるんだ!観に来てよ!」

と誘った事を覚えています。

「・・・え〜?ヘタクソなのに?」

言われた事を覚えています。

まぁ、確かに上手くはありませんが、いつもウィングを任されていました。

「頑張ってゴール決めるからさ!お願い!」

「・・・しょうがないわねぇ・・・」

試合当日です。

渋々ですが、両親は観に来てくれました。

私としては何としてもゴールを決めて、ヘタクソ返上したい所です!

そして、、、、

 

なんとゴール!!

 

ミドルシュートで見事ゴール!!!

 

嬉しさのあまり、両親の方を振り返り、手を振りました!

 

・・・

もうそこには居ませんでした。

物の数分で帰宅した様です・・・。

試合が終わり、帰宅し、

「やったよ!ゴール決めたんだよ!」大喜びで報告です。

しかし、帰って来た答えは子供が期待するものではありませんでした。

母「へ〜そうなの・・・でもお父さんもお母さんも観てないし、本当かな〜」

父「ちょっとうるさいからあっちで話しなさいよ。ゴルフ観てるんだから!」

父母「一回ゴール決めたぐらいで調子に乗るな。どうせプロになれないんだから」

父母「ゴールするって宣言したんだから、ゴールして当然だろ?大丈夫か?お前?」

 

こんな感じでした。

これを皮切りに褒められる事は現在までありません。

 

小学校時代はこんな事もありました。

「あんた!この箱から「ねじ」取ったでしょ!何で使った物を元に戻さないの!」

「いや、使ってないよ・・・」

いきなり烈火の如く、叱られました。

「さっさと探しに行きなさい!どうせあんたの部屋の中に転がってるんだろうし!」

泣きながら、身に覚えの無い物を永遠と探し続けました。

「お!あったよ!」

元に戻さなかったのは父でした。

「謝ってよ!僕怒られたんだよ?お父さんもお母さんも僕に謝ってよ!」

必死に講義しました。

しかし直ぐに覆されます。

母「日頃のあんたの信用なのよ?分かる?使った物を返さなかった事があったでしょ?

 だから怒ったの。あなたの立派な信用で、こうして疑われるの。

 あなたが悪いのよ?みんなは悪くないわ」

父「ま、そういう事だ。お前はしょうがないなぁ〜。お母さんにまた心配かけちゃって」

母「いつまで泣いてるの?さっさと皆に謝りなさい!」

父「早く謝れ!」

なぜだか凄い怒りが込上げて来たと同時に、恐怖も感じました。

無実の罪を着せられて、謝罪の要求です。

謝らなければ夜が明けようと、眠かろうとこの強要謝罪要求は続きます。

「ご・・・めんな・・さ・・・い」

これでお説教は終了し、笑顔が溢れます。私以外は・・・。

現在、私は妻子があります。

「毒親に育てられた子供が親になるとまた毒親になる無限ループ」という、

何ともダークマターな記事を目にする事があります。

科学的や医学的視点からの見解は私には出来ません。

が、

私は一概に「そうだよね」とは言えないと思います。

現に、私と妻の子育ては毒親に育てられた育て方とは180°異なっています。

(今後、ブログ内に妻の事も記載しますが、彼女も私同様「毒親&毒親族」育ちです)

子供は勿論そうですが、仕事仲間でも友達でも知人でも、

とにかく話を聞く事を私たちは苦になりません。

話をする本人にとって、

聞き入れられない程辛い事は息が苦しくなり、ストレスどころか、

行き場を失います。

底なし沼に落っこちて「助けて!」と叫んでも、

みんながみんな、土手から笑ってるだけで手を差し伸べない事ほど、

恐怖な事はありません。私たちは嫌という程知っています。

もし、毒親に育てられ苦しんで来た方が、

今現在お子さんがいらっしゃるなら、

お子さんの話を思いっきり聞いて上げてください。

思いっきり褒めてあげて下さい。

毒親と向き合って、一番辛い思いをしているのは子供です。

それはあなたが嫌という程分かっているはずです。

子供が辛い思いをしていたら、

一緒に思いっきり泣いてあげてください。

 

子供の感情・気持ちを親が共有する事が、

生き生きした子供になると信じています。

そして、毎日毎日1分1秒でも自分が毒親にならない為に、

子供と向き合う尽力をしてください。

次回は私の学生時代を記します。

ご覧頂きありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毒親という恐怖政治

毒親に悩む世界中の皆さま、

はじめまして。青空太陽と申します。

昨今、毒親に関するブログや書籍などが続々世に放たれています。

私も先人達の勇気ある行動力に勇気を貰った一人です。

私も毒親育ちです。

おっさんと呼ばれる歳になった時、

自分の親は「俗に言う毒親なのか?」という事を強く思う様になりました。

私の過去の経験談と私が編み出した対処法を書いています。

また、私はプロのカウンセラーでも専門家でもライターでも医師でもありません。

正直、このブログに自分の両親の事を「毒親」呼ばわりして書き下ろす事も

かなり戸惑いました。が、

数十年間苦しんだ自分に「お疲れ様、もう解放されていいんじゃない?」という

気持ちが強く込上げ、思い切ってパソコンの前に座ってキーボードを叩いてます。

専門的な事は正直分かりません。

しかし、同じように両親からの呪縛やマインドコントロールされて

苦しんでいらっしゃる現在進行形の方々とこの悩みを共有したいと思っています。

私もコメントを頂ければ、書いている本人である私自身、勇気づけられますし、

何より、このブログを書く事で一人でも多くの毒親に苦しむ方々の勇気と希望と

明るい未来の突破口になればと思って書いています。

人の悩みに軽い重いはありません。本人が苦しければ苦しいんです。

毒親が創り上げた恐怖政治から解放されましょう。

 

毒親とはこんな感じでしょうか。

①子供を褒めない

②常に結果で判断する。頑張ったヒストリーに興味は無い

③罵詈雑言を浴びせる

④自分のレールに子供を乗せたがる。逸れるとダメ人間扱い

⑤子供の悩みを真剣に聞けない。聞かない

⑥他人と比較する

⑦子供が謝る・折れるまで徹底的に罵倒する

⑧子供が諦めると手のひらを返した様に優しくなる

⑨子供が困難に陥った時も子供の自己責任。親は面倒事が大嫌い

⑩子供の陰口・嫌味・愚痴を親戚中や知らない大人達に言う

⑪親戚もしくは他人からいきなり説教をされる

⑫恩をきせる「誰が飯食わしてると思ってる・誰が育ててやったんだ」など

⑬子供から指摘された事は絶対に認めない。そしてキレる

⑭会話が成立しない

⑮暴力を振るう

⑯性的虐待

など。

どうでしょう。日常的にこうした事を言われたり、されたりした事はないですか?

大人になって私が思う事があります。

我が子に親の権威を持ち出すのはクソ以下です。

大人が子供に「お金」「家」などの金銭を理由に、

叱る・縛る事は、脅迫と一緒ではないでしょうか。

子供が言い返せない「武器」を毒親は巧みに利用します。

そして子供の気持ちや発言を全て奪います。

当然です。

子供ですから、それらを言われたら言い返す言葉なんて無いんですから。

そんな「親特権」を武器に振りかざすなら、

「だったら産まなきゃ良かったじゃん」

「産んでくれなんて頼んでないわ」

「子供は親を選べないしね」

と声を大にして言いたいですね。

が、

言えば言う程逆効果です。

キレて手を上げてくるか、泣き落としがオチです。

「ここまで育ててあげたのに・・・」「信じていたのに・・・」とかですかね。

ここで子供の心は完全にコントロールされますよね。

(ここまで親身になって言ってくれてたんだ)

(親に逆らった自分が恥ずかしいんだ)

(親の気持ちを察せない自分が恥ずかしい)

・・・自分を戒める気持ちに切り替わります。

ここに私は不快感を感じていました。

当時は理由なんて分かりません。ただ、なんかむしゃくしゃして、

モヤモヤして、気持ちが晴れないのです。

これが毒親の恐怖政治に育った子供の洗脳だと思っています。

 

私の親の理想像は、

①とにかく褒めて伸ばす。

②厳しく怒る時は、なぜ怒ったのか理由をきちんと説明すべき

③子供の意見を徹底的に理解しようとする努力

④親の感情で暴力を振るわない

⑤人は人、我が子は我が子。良い所を堂々と人に言える力

これです。

毒親は、とにかく我が子を所有物として育てる方が多い様です。

子供は親のラジコンじゃないんですけどね・・・。

上の5項目が自然に出来るご両親の元で育った方たちは、

このブログは読んでいても理解が出来ないかと思います。

ご覧頂く方の中には、

「そんなの自分の弱さを親のせいにしてるだけじゃん?」と思う人もいるでしょう。

根性論だけで解決できる事なのでしょうか。

人の悩みをそう簡単に決めつけてしまうのは少々乱暴な気がします。

自分の経験や思考、思想だけを頼りに、

他人を決めつけてしまう・結論を出す事は如何なものでしょうか。

私は少し違うと思うのです。

親から受けた精神的ダメージを抱く子供は、

周りの理解を得られないまま大人になる方が非常に多いです。

そして大人になればなるほど、社会で苦しい思いをします。

虐げられた思考を、無理に自分に正当化して生きようとする苦しさは、

年齢を重ねると歪みが生じます。

非常にきついです。

とにかく「毒親」というワードを創り上げた方に私は感謝を申し上げたい。

これで「親への感謝」という本当の意味を世間に少しでも認知されれば、

毒親からの決別への門出が広くなると思っています。

 

取っ掛かりのブログは、ここまでにします。

なかなかこうした記事を書くと過去のトラウマがフラッシュバックしたり、

憎悪に心が支配されそうになります。

だから今日はこの辺で終了させて下さい。

次回は私の体験談を徹底的に書きます。

 

共感する方がひとりでもいらっしゃれば、私も嬉しいです。

では。